ぴろしです。

好きな映画は『アウトレイジ』です。

木村、もういいよ、帰ろう

先週末も散歩をしてきました。

今回は東京駅から銀座まで歩きました。

4月1日ポカポカな日曜日。

電車で東京駅まで行き、丸の内北口に出ると人がいっぱい。

何でも皇居のお花見一般公開が4月1日までだったらしいのですが、

それに加えて『東京ミッドタウン日比谷』が3月29日にオープンしたとのことで、

皇居周辺はフィーバー状態でした。

東京駅
おいしそう♪

私はただぶらぶらと歩きたかっただけなので、

喧騒の丸の内からはすぐに退散。京橋方面へ。

それにしても、どこもかしこも人が多い。

暑さと人の多さにやられ、京橋の交差点に着いたころにはへとへとで、お腹も空いていました。

中央通りを右に曲がって、銀座に行ったらおいしいものを食べてやると固く決意。

少し歩くと、頭上には西銀座JCTと京橋JCTを結ぶ高速道路が。

ここから先が銀座だと思うと、なんだか気分が上がります。

ちょっとハイな状態で周りを見渡すと、こんな石碑を発見。

京橋大根河岸青物市場跡

ふむふむ。

へぇ~。

なんと京橋には昔、『大根河岸』と呼ばれる青物市場が存在していたみたいなんです。

始まりは江戸時代。数寄屋橋に数件ほどあったさつまいも問屋が、大根河岸の始まりであったみたいです。

京橋は東海道にもほど近く、水運の便もいいので多くの作物が集まり、あっという間に店数が増加し、いつの間にか市場として、江戸の人たちにとってなくてはならないものになっていました。

たくさんあった野菜や果物のなかでも、江戸近郊でとれた大根が特に多かったとのことで『大根河岸』と呼ばれるようになったんですって。

その後、明治から大正、昭和へと時代は変わり、電車が発達し、東京の街の河川交通が少なくなってからも、大根市場だけは栄え続け、東京湾から入る各地の野菜を扱っていました。

そして、昭和10年、築地の東京市中央卸売市場開設にともなって、大根河岸の市場も築地へ移転したとのことでした。

日本橋に魚河岸があったのは知っていましたが、京橋に野菜や果物の市場があったなんて全然知りませんでした。

明治屋

さて、銀座に着いたので早速何か食べようと思ったのですが、あることに気がつきました。

「やばっ、財布を持ってきていなかったの忘れてた・・・」

私は普段から革製の分厚い長財布を使っているのですが、歩いているとかさばるし重いので、

今回の散歩は軽い感じで行こうと思い、スマホとSuicaと千円札一枚だけしか持っていなかったのです。

半べそ状態で、定期入れの中から、汗で少し湿った千円札を取り出し、パタパタ振って乾かしながら、

銀座のど真ん中で途方にくれました。

トホホ

「こんなときはやっぱりあそこに行くしかないか。」

520円

甘いはずのカフェオレシェイクなのに、

なぜか少しほろ苦く感じた、

そんな銀ブラぴろ散歩でした。

独立
しちゃった
ぱぁ

ふぅ。

オモシロクナールの効果が、

どうやら切れてしまったみたいです。

★Dr.ピロシが教える今週の印刷用語★

今週の印刷用語は・・・『ウエス』じゃ。

ウエスは工業用の雑巾のことじゃな。工業用の雑巾といっても特にすごい加工がされているものではなく、ほとんどが古着などの布切れやボロ切れじゃ。主に機械油をふき取ることに用いられておるの。日本新聞印刷ではブランケットという印刷機のローラーの、インクや紙粉の掃除の際に大活躍しているんじゃ。